十牛図(授戒編)➀
禅の悟りの段階を示す「十牛図」が教える悟りへの道
禅の修行とはどういうものか。
修行に入り、禅の指導を受けると、どのような過程を経て悟りに至るのでしょうか。
この疑問について説かれた十枚の絵が十牛図になり、登場するのは、童子と牛と風景のみです。
さあ、悟りへの道が始まります。
※現時点で図を載せる事ができておりません。ご了承ください。
十牛図の一 尋牛(じんぎゅう)
昔々あるところに一人の童子が住んでいました。
ある日、童子は牛を探しに行こうと決意しました。
ここでいう牛は、本来の自分を表しています。
でも、自分で自分を探すというのは不思議な気がします。
それは、禅でいう本来の自己とは、「仏と同じような素晴らしい資質」の事なのです。
もともと人は、仏の資質を自分の心に持っている、というのが禅の基本的な考え方なのです。
ではなぜ、仏の資質である仏性が自分の心にあるのに、探しに行かなければならないのでしょうか。
この事は、若き道元禅師さまも疑問を持たれました。比叡山で学んでいる時に「本来本法性、天然自性身」という言葉に出会われたからです。
本来、仏としての智慧と徳を備えているのであれば、厳しい修行をする必要はないのではないかと疑問を持たれたのです。
私たちは生きているうちに、財産や地位、名誉、愛情など、様々な「もの」を手に入れたいと願っています。
そして、これらの「もの」に執着する為、物事の本質が見えなくなっているのです。
また、得たものを失いたくない、他人と比べると私はまだ幸せではないといった、欲望や執着の心に惑わされ、自分の中にある「仏性」に眼を向けようとしません。
簡単に言ってしまえば、本来の自己とは、こうした執着を断ち切った「あるがままの自分」の事なのです。
しかし、この段階では、答えは自分の中にあるのにも気づかず、探し回っているのです。
いくら「もの」を手に入れても、それは、いつかは壊れ、失われ、また次の「もの」が欲しくなります。
つまり、いつまでたっても心が休まらないのです。
こうした堂々巡りの末、解決の手がかりさえ見つからなくて、人は悩み、苦しんでいるのです。
禅での「尋牛」とは、迷いを脱し、悟りを求める人の第一歩の姿なのです。
これを発心といいます。この過程も重要な修行の一つになります。
すなわち、童子は、道を求める「求道者」であり、牛は「自分自身の本当の心」を意味するのです。
こうして皆さまが、戒弟として授戒会に就かれて、精神修養に勤めようと発心をおこす事。
この事が仏さまとの深い縁結びの始まりなのです。