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十牛図(授戒編)②

2025.06.28

十牛図の二 見跡(けんせき)

童子が牛を探し回っていると、牛の足跡を発見しました。

ようやく牛が何処にいるのか、手がかりを掴んだところです。

牛の足跡は、先人の残したものや仏典や経典から学んだものをいいます。

仏教の教えに触れて、本来の自己が、何となくわかった事を表しています。

あるがままの自分こそが仏であり、生あるものすべて、更には自然の摂理とも自分が一体である事を、何となく掴んだ段階なのです。

しかし、まだ本来の自分の中にある仏と同じよい資質を持った牛を見つけた訳ではありません。

読んだり聞いたりして、知識として知っただけなのです。

それに禅では真の仏法は文字や言葉で十分に表現できない、禅の真髄は、経典の内容を超えたところにあると考えます。

これを「不立文字・教外別伝」といいます。

「不立文字」は、真の仏法は文字や言葉で十分に表現出来ない事をいい、「教外別伝」は、禅の真髄は経典を超えたところにあるという事をいいます。

文字や言葉を越えた教えを、様々な加行を通して、自分自身で感じ取っていく事であり、経典だけには頼らずに、戒師さまから説いていただいた教えを実践していく事だといえるのではないでしょうか。

仏教に触れ始めたこの段階では、宇宙大ともいえる広大な自分の姿が、本来の自己なのだと思ってみる事です。

宇宙とは寸法ではありません。私たちは数字を基礎にものを考えがちですが、そこではまず比較が生まれてしまいます。

この考え方から離れ、動物や花や光、更には仏まで含めたすべてが宇宙であり、自分はそれらと一体だという広い心を取り戻す事です。

それが修行への始まりになるのです。

見跡の図は、経典を読む事が出来るようになり、多少なりとも意味が分かる様になってきた段階であり、戒師さまからの聞法を基にして、戒法がそれとなく分かってきた頃だといえます。

更なる修行を積まなければなりません。

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