トップお知らせ一覧十牛図(授戒編)⑤

十牛図(授戒編)⑤

2025.09.28

十牛図の五 牧牛(ぼくぎゅう)

牛もようやく童子になつき、一緒に過ごす事が出来る様になりました。手綱は緩んでいますが、まだ手放せる段階にはなっていません。

ここでは姿だけが見えていた本来の自己を捕まえた様にも見えます。それでも、まだ手綱、つまり緊張感が必要なのは何故でしょうか。

厳しい修行を積んで、本来の自己を取り戻したつもりでも、煩悩は折にふれて頭をもたげます。

此の故に、禅では悟りを開いた後の修行を重んじ、これを「悟後の修行」といいます。

まだまだ、心と体を調え続けなくてはいけません。

修行は続くのです。悟りの境地が日常生活の中で、闊達自在に働くようにしなければなりません。

ここで、今一度立ち止まって思い返してみると、改めて懺悔する事が大切であると気付くのです。

戒師さまのお話を、耳で聞いて心の中で十分に練って、その言葉を咀嚼出来ているか、教えの通りに過ごしているかどうかを、振り返って考える事が大切になってきます。

懺悔するといっても、どんな風にすればよいか良くわからないかもしれません。

仏さまに懺悔を聴いてもらう事を、心の中に思い描いていただく事が良いかもしれません。

「私がこれまでにしてきた色々な悪い事は、積もり積もって自分の悪いクセになってしまっているかもしれません。そのクセから離れられて、これから新たな気持ちで歩めるように応援してください」というのが一つの例になります。

仏さまも初めから立派だったわけではありません。色々と失敗したり悩んだりして、ようやく仏さまになれたのです。

「降魔成道」といい、お釈迦さまは、出家され、様々な厳しい修行をなさった後、最終的にはブッダガヤの地の菩提樹の根元で、坐禅を組まれて、ご自身と向き合い、煩悩や誘惑に打ち勝って、悟りを開かれました。

そして、「梵天勧請」といい、悟られた後も、坐禅を組み続け、悟られた内容を整理しつつ、「どうか悟られた教えをお説きください」という梵天の願いを熟慮して、教えを説き始めたのです。

一覧に戻る