十牛図(授戒編)➂
2025.07.28
十牛図の三 見牛(けんぎゅう)
ふと顔をあげてみると、牛の姿が目に入ります。
ですが、まだ牛の後ろ姿しか見えません。
そこで童子が牛の方向に向かって、歩を進めるところです。
この図は本来の自己の姿を初めて見た事を表しています。
わずかながらですが、悟りが開けた段階なのです。
それまでと違い、眼に見えるもの、聞こえる音など、すべてに仏の働きを感じられる様になります。
そして日常の中にこそ、禅がある事に気づきます。
何を見るにしても、それに成り切る事、同化する事の大切さを理解するのです。
そうは言っても、実際に同化するのは、とても難しい事なのです。
というのも悟りの境地が、お釈迦さまの悟りを基準にしているからです。
お釈迦さまは、六年にも渡る修行の末、悟りを開いたのですが、「自分が仏であると悟った瞬間、すべてのものも仏となった」と説いているほどの高い境地なのです。
これを「草木国土 悉皆成仏」、すべてのものが、皆ことごとく仏になったといいます。
仏教では草や木、土など心を持たないものを「非情」といいます。
其の為、「非情成仏」ともいわれますが、心のないものさえ仏になれるのです。
見牛の段階からは、全体像に近づけば近づくほど、つまり修行を積めば積むほど、遠くにぼんやりと見えていた本来の自己の姿がはっきりしてきます。
この図の意味するところは、本来の自己に向かい合っている自分の姿なのです。
「これは悟りかもしれない」「仏とはひょっとしたら自分の事なのかもしれない」と初めて思えた段階です。
お授戒で、優れた戒師さまに出会うなどのきっかけを得て、新しい自分を見つけた段階ですが、更なる精進が必要になります。
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